ほっとする

ちいさなきせき

| 2026.02.23 更新

ひとり旅が好きだ。

予定を詰め込まない旅。

温泉に入ること以外
何も決めていない旅。

その日は

最近、静かに話題になっているレトロな温泉街に来ていた。

駅を降りるとどこか懐かしい看板や
少し色あせた旅館の暖簾。

石畳の道に湯気がふわっと流れていて

都会の整いすぎた景色とは違う、少し不揃いな街並みが妙に落ち着く。

時間がゆっくり進んでいるようなそんな錯覚さえする。

決めているのは温泉に入ることだけ。

あとは

気になった店に入り
気になった道を曲がり

何も起こらなくても、それでいいと思える時間。

こういう旅が、好きだ。

忙しさに追われて気づけば食事も

「時間になったから」ではなく
「空いた瞬間に流し込むもの」

になっていた日々から

少し距離を置くための

静かな逃避みたいなもの。

そんな気持ちで湯気の立つ通りを歩いていた。

射的の音。
足湯から立ち上る湯気。
甘い温泉まんじゅうの香り。

どこを切り取っても、急ぐ理由のない景色だった。

ふと

小さな土産屋に入る。

木の棚に並んだ、素朴な焼き物や手ぬぐい。

レジへ向かうと

顔を上げた店員さんと
目が合った。

── あ。

いつも行くコンビニのあのお姉さんだった。

都会では

挨拶を交わすくらいの距離。

ここでは言葉より先に軽く会釈をする。

向こうも同じように小さく頭を下げた。

それ以上は何もない。

いつもは「ありがとうございました」その一言だけ。

けれど店を出ようとしたとき

後ろから

「あそこ、良かったですよね」

と静かに声が聞こえた。

振り返ると

さっきと同じ距離感のままのやわらかい笑顔。

きっと

あの時の温泉街のことを
言っているのだろう。

「良かったですね」

それだけ返す。名前も知らないコンビニのお姉さん。

深い会話もない。

けれど

同じ場所で同じ空気を感じたことだけが

ほんの少し

気持ちがつながった気がした。